「新春随想」として全国自治体病院協議会雑誌に投稿した内容です。ご一読ください。
明けましておめでとうございます。最近の流行語を並べたような表題になってしまったことをお許しください。
内容は自由とのご依頼でしたのでいろいろ考えたのですが、どうしても新型コロナウイルスから離れることができませんでした。
私自身、精神的に感染してしまっているような気にもなりますが、肉体的にはまだ非感染者であると信じています。
この感染症の影響は、すでに日常として受け入れなければならない状態となっていますが、「アフターコロナ」や「ポストコロナ」といった表現で、今後の劇的な生活様式の変化や予測
される未来像についての議論が盛んに行われています。
現時点では、「ウィズコロナ」(ウイルスとの共生)という表現が現場感覚としては最もしっくりきますが、このウイルスとの共生という状態がその治療法が確立し、ワクチンが
全世界に行き渡るまで続くことになりそうです。
この「ウィズコロナ」という状況によって、人と人、人と空間、人と働き方など、様々な場面で暮らし方の質が変容してきていると感じます。
「リモート社会」という捉え方もそのひとつであり、非接触型社会と訳されていて、実際密閉・密集・密接の「三密」を避ける生活の受容により、テレワーク・在宅勤務が一気に進んでいる状況です。医療界にもその波は押し寄せており、オンライン診療と称するシステムが、十分な検討もなされずに拡大しているようにも感じています。
当院のような二次医療圏の中核病院では急性期疾患が主であるため、かなり限られた患者さんには有用かもしれませんが、基本的には初診を含めた大部分の患者さんには慎重に導入するべきであると考えています。
さて、リモート社会そのものを成り立たせている存在として、「エッセンシャルワーカー」と称される職能人が注目されています。
人々が日常生活を送るために欠かせない仕事を担っている人のことであり、コロナ禍という緊急事態下でも黙々と自身の仕事をこなしている方々に対し、感謝や尊敬の念を込めた呼称として使われているようです。具体的には、医療・介護・福祉、小売・販売、公共交通機関・ごみ収集作業などに従事されている皆さんであり、「他者をケアする仕事」をしている人々と言うこともできます。
このコロナ禍を経験して、エッセンシャルワーカーがいなければ地域社会は回らないことに、改めて気付かされたのではないでしょうか。
リモートワーカーを支えその仕事を可能にしているのは、エッセンシャルワーカーであり、その代表格が我々医療従事者であり、さらに言えば新型コロナウイルス感染患者さんを多数受け入れている全国自治体病院の職員であり、心から誇りに思うところです。
非接触を基本とするリモート社会とエッセンシャルワーカーの集合体とも言える医療は、当然のことながら相容れない部分が多いと思います。
ヒトは病気に罹患し、いずれは死ぬ運命にある生き物ですので、心身の煩わしさをケアしてくれる他者がどうしても必要になります。
オンライン診療では、そのような親密性は残念ながら提供できないと思います。
近代ホスピスの母とも言われているシシリー・ソンダース先生の言葉に、「Not doing, but being.」(何をすることではなく、そばにいること)や「Just being there.」(ただそこにいること)があります。
医療における「being」の重要性を説いており、やはり医療の原点は患者さんと「共に在ること」に尽きると思います。
実は、当院は新型コロナウイルス感染症に罹患した認知症高齢者の患者さんを受け入れ、その対応の中で現場の看護師が感染するという院内感染を経験しました。
日常生活のほぼすべてに介助が必要な感染患者さんに対する看護業務は、感染リスクとの闘いでもありました。
大変辛い経験とはなりましたが、「being」と「感染防御」のバランスという医療そのものを見つめ直すような葛藤を実体験したことにより、当院は組織としてもかなり成長したと思っています。
地域の感染症指定医療機関として、全職員一丸となってさらに充実した感染対策を実践し、「being」を強く意識しながら地域医療を守り抜かなければならないと気を引き締めています。
ウィズコロナで加速する働き方の変化が、リモートでの働き方の職務とエッセンシャルな働き方の職務という区分けに結び付いて行くのでしょうか。
これが「分断」に繋がるとは思いたくありませんが、リモート社会を可能にしているのがエッセンシャルワーカーの存在であるという気付きを、社会全体で共有することがこれから大変重要になるのではないかと思います。
感謝や尊敬の念から生まれたエッセンシャルワーカーという呼称が、決して偽善的ではなく、ヒトはお互いがケアし合わなければ生きていけない存在であるとの本質から発せられたものである、と信じたいです。
そのような共通認識があれば、新型コロナウイルス感染症を診療した医療従事者等への誹謗中傷は起こり得ないのではないかと考えています。